Friday, November 11, 2011

聖書にみる死に方、生き方

――東日本大震災をきっかけに

                                       (藁科れい記)

 

 2011311日、日本人だれもが生涯忘れられない、恐ろしいできごとが起こった。

東日本大震災である。

これ以上ないほどの苦痛がかさなった。地震と、津波と、原子力発電所の事故という三重苦である。多くの方々が亡くなった。

東京都のマンション3階に住むわたしの感情は、初めは、恐怖・・・・であった。

午後246分、カタカタカタ、と異様な音をたてて鳴りだしたガラス戸をながめて、わたしは部屋のかたすみに避難した。音はやまず、やがて部屋は大きくゆさぶられ始めた。


「神さま、ああ神さま!」


 わたしは一心に祈った。数分のち、部屋はふたたび静かになったが、――さっきのそれが歴史に刻まれるような東北の大地震だったとテレビで知るのだ。

 数日後、わたしは都内の教会に出かけた。そこは外国人が多くかよう教会で、時おりわたしも祈りに参加させてもらっていた。その日、礼拝のあとで、玄関ホールで顔見知りのアメリカやヨーロッパ、アフリカの人たちと言葉をかわし、こわかったですねと言いあって、そして帰路についた。

 その地下鉄の薄暗い席で。ふいに波のようなものにうたれて、なみだがはらはらと頬をつたいはじめた。情念のかたまりのようなものに、いきなり触れた気がした。

 よその国のことではないのだ。日本、わたしの国日本の全体にただよう悲しみのオーラに、心が捉えられたのかもしれない。(ああ、そういうものは存在するのだ。)しっかりしよう、しゃんとしようとそれまで気を張っていたのだが、自分で思っている以上に、わたしの心は傷つけられ、かなしんでいるのだとわかった。

 いまは恐怖ではなかった。悲痛に、心が引き裂かれる思いだった。

 かわいそうな日本、最愛の母国。

 ヒロシマ、ナガサキだけでもう充分だ。日本は世界で唯一の被爆国、それも二度も核爆弾をまともに浴びたのだ。閃光と火と黒い雨。その残酷さは徹底的である。なんでさらにフクシマなの。日本ばっかり、決定的なことが、なんで日本ばかりに?

 もうがまんできなかった。人前でわたしは顔をぐしゃぐしゃにして泣き、涙をぬぐいつづけたが、だれもそれを変だとは思っていないようだった。もう一人、泣いているような人がいた。たぶん、東京メトロ銀座線のその乗客のみなも心のなかで泣いていたのだろう。

 いまもずっと、わたしは思いを反芻している。なぜ? あんな深刻すぎることが起こったのか? なんで! 日本は祝福されていない国なのか。そうなのか。神罰だといった知事がいるが、それはちがうような気がする。だが、マイナスを極めてしまった国だ。どん底まで。ある意味、選ばれた国? (ひょっとして大きく反転しプラスに転じる希望がある?)

わたしの心を占めているのは、津波に流されて亡くなった人びとである。そして、同胞を助けようとして亡くなった殉職の警察官はじめ、公務の立場にあった人びとである。さらに、テープでながぐつをズボンに留めたような非科学的なチャチな服装、装備で、原子炉をなんとかしようと必死になっていた人びとである。あとになってこの人たちの体に重大なさわりはないだろうか。いやこれは、過去形で書いてはいけない、いまも必死になっている人たちが大勢いる。どの人もいとしく、かなし過ぎる。

 いや、いや感情的であってはならない。冷静に、おちついて、いろんなことを考えてみよう。いまはすこし大災厄から離れ、生と死を、聖書の観点からみつめてみよう。

 それにしても。人は死ぬのである。


 歴史始まってこのかた、みな死んできた。どんな大帝国を築いた人も、栄華を極めた人も、わずかな歳月この青い惑星にいるだけで、あっけなくすがたを消してしまうのだ。

 あとは虚無・・・・その人の影かたちもない。

 かなしいとも、儚いともいえる人間の一生である。ここでは、ひとの生き方と死に方との関係を考えてみたい。

「その人がどう生きたかは、その人がどう死んだかでわかる」。

 そんな言葉を聞いたことがある。おそらく長年暮らしていたウィーンだったと思うが、どこかでわたしは聞いた。どうやら本当らしいと思ったこともある。

 しかし、この東日本大震災で、さまざまな立場の方々が一瞬にして亡くなった。万を超す人数であった。おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、若者、娘さん、少年、少女、ちいさな子ども、赤ちゃん、 ―――みな同時に、あっというまに命を失った。

 あの悲報にふれたとき、生き死にのことは軽々しくは口にしてはならないのだと、あらためて思い知った。

ほんとうに、ひとの命はわからない。ときにそれは残酷である。不条理だと感じられる。そこでこの命題はさておきにして、聖書の人びとの生死をみつめてみたい。古(いにしえ)のあの人たちはどのように老い、死んでいったのだろう。

まずは、初めの人間アダム。

 アダムは930年生き、そして死んだ。

                         創世記5章5節


 ただそれだけしか記されていない。妻のエバの死にいたっては、言及もされていない。

 それにしてもアダムの930歳という年にはおどろく。これも諸説あって、じつは年齢のかぞえ方がちがったのだ、数の記し方がちがったのだ、黎明のころは一年が短かったのだとか、いやいや何もかもたとえばなしなのだ、他いろんな話を聞いたけれど、ここでは深く追究しないことにする。わからない、しかしいつか科学がもっと進歩したらあきらかになることもあるにちがいない、とわたしはひそかに心待ちにしているのだ。

 あなたはキリスト教の何派ですか、などと聞かれたら、答はこうである。

「何派でもありません。プロテスタントに所属していますけれど、どこの区画の何者でもありません。欠点だらけのちっぽけな人間です。聖書を読み、創造主を愛しキリストを信じて生きている、ただそれだけの人間です」。


なんだか直感では、アダムはじっさい930年生きたような気がするのだけれど、・・・・・

いずれにしてもながく、苦しい一生だったと思う。自分のとがで、楽園から追い出された人。エデンの園の記憶を持っていた、地球上でただ二人のうちの一人。アダムはそういう運命の人であった。わたしだって、もしそんな過去があったら、かなしく懐かしく、生涯、楽園をしのんだにちがいない。

 知恵を得てしまっただけに、荒地を汗水たらして耕しながら、彼はじつにじつに多くのことを考えたことだろう。妻を責めることはなかっただろうが、あのときああしなかったら、ああ言わなかったらと、自問自答をくりかえしたにちがいないのだ。アダムはだれでもよく知っているように、禁断の木の実を妻に勧められて食べ、しかもそこでわびずに醜い言い訳をして、神様の怒りにふれてしまった人である。

 そして荒地ではたらき、老い、疲れて、

「塵にすぎないお前は塵に返る」と神さまに宣告されたとおり、土くれに還ってしまったのだろう。

 楽園の記憶を持つもう一人、エバも同様で、エデンの園の思い出は生涯、心から消えることはなかったろう。そして楽園追放のときの絶望感も。

 二人にはカイン、アベルという男の子が生まれたが、カインは神さまへの献げもののことで嫉妬して弟のアベルを殺した。カインは罪ゆえにその地を去っていき、夫婦は早々に長男と次男を失ったわけなのだ。

 そのあと息子や娘が生まれたけれど、エバの一生も幸せなものではなかったろう。アダムと同じように老い、力尽きて死んだのだろうと想像がつく。かなしい。

 そして世代は移ってゆき、多くの人びとがもれなく死んでいったのだが、死期のありさまが記されていない人が大多数である。まあ、全員の死について書いていたら、ページが何枚あっても足りないだろう。

 しかしかなり活躍した人でも、聖書はその死についてはふれていないことが多い。例外的に、死のありさまがきちんと記述されている人たちがいるから、それをひろってみることにしよう。まずはアダムの数代あとの子孫エノク。

 エノクは365年生きた。エノクは神と共にあゆみ、神が取られたのでいなくなった。                  創世記5章23節―24節

   

 簡潔な描写。これ以上ないほどの至福の生涯である。

「ああ、エノクのように生きられたら・・・・」と、過去に何人の人が思ったことだろう。

 ウィーンで、女性なのにエノクという洗礼名のひとに出会ったことがある。そのひとの両親も、そうした願いをこめて命名したのだろう。わたしもそう生きたいと願う一人である。逆立ちしてもとんぼ返りしてひっくりかえっても無理だと知りつつも。

 エノクは死ななかったのだ、と解釈する向きもあるようだが、そうではないと思う。人間だから欠点も罪もあったにちがいない。それでもエノクという人は敬虔に、つつましく生きて、時は満ちたという感じで、すうっと死んでいなくなったのだろう。旧約聖書のなかで、光が射すような箇所、忘れがたい文章である。

 そして、さらに時代をくだって、アブラハムという人の死を見てみよう。黎明のころ、歴史的な大洪水のあと全世界の人間はたった数人、ノアの家族だけになってしまったと聖書には記されているが、アブラハムは、そのノアの三人の息子のうちのセムの子孫である。

聖書を通じても、これほどやすらかな老い方、死に方をした人もめずらしい。アブラハムについての記述には、気づかいと優しさ、そして上からの恩寵のようなものが感じられる。

アブラハムは多くの日を重ね老人となり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた。                             創世記241


 アブラハムの生涯は175年であった。アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。

                創世記257節――8

 

これが彼の老境であり、死だった。多くの人びとに囲まれての臨終だったろう。老衰死だから、苦しみはほとんどなかったにちがいない。

 孤独な老人がふえた現代、ぽっくり寺にお参りしたりして「パッと」逝きたいと願っている人が多いという。でも、こと生死の領域に関しては、これは人知を超えた事項であるよう

だ。神さまのご意思がなければどうにもならない、とわたしは感じる。

 歴史あるどんな名家でも子どもは望んだようには生まれてこないし、生まれてもぶじ育ってくれない場合が多い。死に方もまたつらい。神さまのご庇護がなければ。どんな偉い人でも、生き死にを美しくまっとうするのは難しいことなのだな、というのが聖書を通読しての感想である。

 でもそれは聖書のなかでの話だろう? 聖書に縁のない人びとには、というより現実の世界では、生死はまったく偶然に、そう偶然に、残酷に訪れるじゃないか、あの東日本大震災の大津波を考えてみろ、とはげしく言う人もここであらわれるかもしれない。

 中世のキリシタン禁止令以来、日本ではついに根づかなかったキリスト教の思想を、そんなふうにここで展開してほしくない、という人も。

 ほんとうによくわかる。それでも。それでも、わたしは言うのである。

 はい、そのお気持ちはよくわかります。

 でも、でもしばらく待ってください。いまはとにかく、聖書の人びとの生と死をみつめてみましょう、と。

アブラハムのもとの名はアブラム。ハランという町に住んでいたが、ある日、神さまの声を彼は聞いたのである。

主はアブラムに言われた。

「あなたは生まれ故郷

 父の家を離れて

 わたしが示す地に行きなさい。

 わたしはあなたを大いなる国民にし

 あなたを祝福し、あなたの名を高める

 祝福の源となるように。

 あなたを祝福する人をわたしは祝福し

 あなたを呪う者をわたしは呪う。

 地上の氏族はすべて

 あなたによって祝福に入る。」

 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき75歳であった。

                 創世記121章――4章

 

 長生きするとはいえ、75歳はかなりの年齢である。すべてがそれなりに落着しているその年に、彼は神の召命をうけ、すなおに故郷を出た。そして波乱万丈の苦しい生活を送り、ついにはもとの名前を改め〝アブラハム(諸国民の父)という名前を神さまからいただくのだが、この人の特質は純粋さ、そして従順である。

 従順。じゅうじゅん。

 アダムとエバの試練に始まって、この言葉は旧新約聖書の一貫した大きなテーマなのだが、アブラハムはそれを身をもって示した人なのである。晩年になってようやく授かった息子イサクを、神に生贄としてささげよと命じられた話はよく知られている。

これらのことの後で、神はアブラハムを試された。

 神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。

「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」

 次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。

                           創世記221節―3

 

  そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。

  そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。

「その子には手を出すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」

                           創世記2210節―12

 これほどつらい天からの試みにも、彼は従順をもって従ったのだ。そこに、深い深い神さまへの愛がなければ到底できることではないだろう。

 わたしだったら・・・いえ、いえ、想像するだけでみぶるいしてしまう。ひとにはそれぞれ器(うつわ)があって、それに耐えられる試練しか与えられないと聞いたことがあるけれど、アブラハムの器は、とてもとても大きなものだったのだろう。

 それに、アブラハムよ、と呼びかけられたとき、「はい」と老人の彼が答えていたという記述は感動的だ。子どものようにすなおな、返事のしかた。おそらく何度も呼びかけられていたのだろうが、それにしても、そこにこの人の性格がにじみでている。二度目以降でも、ふつうなら、「は、はい、神さま、なんでしょう?」という感じになるのではないだろうか。

 あなたが、ふいに、神さまから呼びかけられたら・・・・どう返事しますか。

「えっ!」「はっ、はい!」

 そんな感じだろうか。わたしだったら、

「え? ほんとに神さま?」

 いやそんなにおちついていられるだろうか。

「えっ、えっ、えええーっ!」

 それ以外の言葉は出てこないかもしれない。人生のうちで二度、三度と呼びかけられたとしても、毎回はげしく動揺するにちがいない。「はい」とすなおにお返事ができる自分ではないことをわたしは知っている。

 さて、さらにずっと時代をくだって、モーセの死に方はどうだろう。

 アブラハムの数代後の人、ヨセフが兄弟に憎まれてエジプトに売られ、そこで宰相にまで出世して以来、イスラエルの民はエジプトで暮らすようになった。

 それからおよそ四百年の歳月の後、奴隷として虐げられるようになってしまったイスラエルの民を、神さまのご命令に従って、エジプトからひきつれ脱出したのが、このモーセである。彼には、晩年、死の宣告があった。

 その同じ日に、主はモーセに仰せになった。

「エリコの向かいにあるモアブ領のアバリム山地のネボ山に登り、わたしがイスラエルの人々に所有地として与えるカナンの土地を見渡しなさい。あなたは登って行くその山で死に、先祖の列に加えられる。兄弟アロンがホル山で死に、先祖の列に加えられたように。

 あなたたちは、ツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの泉で、イスラエルの人々の中でわたしに背き、イスラエルの人々の間でわたしの聖なることを示さなかったからである。あ  なたはそれゆえ、わたしがイスラエルの人々に与える土地をはるかに望み見るが、そこに入ることはできない。」

                        申命記32章48節―52

 メリバの泉という事件ゆえに、モーセは約束の地に入る前に死ぬこととなった。それは、次のようなできごとだった。

 イスラエルの人々、その共同体全体は、第一の月にツィンの荒れ野に入った。そして、民はカデシュに滞在した。ミリアムはそこで死に、その地に埋葬された。

 さて、そこには共同体に飲ませる水がなかったので、彼らは徒党を組んで、モーセとアロンに逆らった。民はモーセに抗弁して言った。「同胞が主の御前で死んだとき、我々も一緒に死に絶えていたらよかったのだ。なぜ、こんな荒れ野に主の会衆を引きいれたのです。我々と家畜をここで死なせるためですか。なぜ、我々をエジプトから導き上がらせて、

こんなひどい所に引き入れたのです。ここには種を蒔く土地も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも、飲み水さえもないではありませんか。」

 モーセとアロンが会衆から離れて臨在の幕屋の入り口に行き、そこにひれ伏すと、主の栄光が彼らに向かって現れた。主はモーセに仰せになった。

「あなたは杖を取り、兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたはその岩から彼らのために水を出し、共同体と家畜に水を飲ませるがよい。」

 モーセは、命じられたとおり、主の御前から杖を取った。そして、モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。「反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか。」

 モーセが手を上げ、その杖で岩を二度打つと、水がほとばしり出たので、共同体も家畜も飲んだ。

 主はモーセとアロンに向かって言われた。「あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、わたしが彼らに与える土地に導き入れることはできない。」

 

これがメリバ(争い)の水であって、イスラエルの人々が主と争った所であり、主が御自分の聖なることを示された所である。

                           民数記201節―13

モーセの疲労と絶望感が伝わってくるような箇所である。姉ミリアムは死に、飲み物も食べ物もなく、イスラエルの民たちは反抗的につっかかてくるこの逆境にあって、モーセの忍耐の糸もついにプツンと切れたのだろう。

「神の言葉を疑って、岩を二度打った」からだけではないと思う。

「反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか。」という言葉、(たぶんやけくそのようにはげしく)バシバシと岩を打つ動作、すべてが、神の聖なることを示すリーダーの取るべき態度ではなかったのだろう。

 そこに至るまで、数知れず奇跡を体験してきたモーセなのだ。

 燃える芝の中に御声を聞いたことに始まって、杖がへびに変わったり、エジプトのファラオおよび人民に数々の不思議が示されたり、紅海がまっぷたつに割れて道があらわれたり・・・・エジプト脱出のこれまでの経過をすべて神さまに感謝し、いままた御言葉をいただいたことを感謝して、岩を一度、力強く打つべきだったのだろう。 でも、モーセはそれをしなかった。

 そして、それを神さまはとがめられたのだ。一緒に奇跡を見てきたにもかかわらずあの態度をとった民たちはもう問題外だが、指導者モーセ自身も、一瞬たりとも気を挫けさせてはならなかったのだろう。

 というわけで、モーセは約束の地に入ることなく死んだ。それでも彼の心は、あんがい、おだやかだったのではないだろうか。

「やるだけのことはやった。時おりやけをおこしカッとなって我を忘れ、主にはげしく叱責されたりしたけれども・・・・わたしも、一生懸命生きた。」

 彼の心境は、そんなものだったのではないだろうか。

 そして神さまも、それを、よくよくご存じだったのでは。

 最後に神さまは、モーセに約束の地が見えるようにはからってくださった。その死の描写は次のとおり。遥かな遠景と、厳しくもやさしい神さまの御心がつたわってくるような文章である。

 モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。ギレアドからダンまで、ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツォアルまでである。

 主はモーセに言われた。

「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。

 わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」

 主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。主は、モーセをベト・ベオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。モーセは死んだとき120歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。

                        申命記341節―7

・・・けわしい山路を杖をついて登っていく、炯炯とかがやく目の、がっしりと大柄な老人のすがたが見えるような気がする。山頂で、ひとわたり眺めを見渡したあと、老人のからだは静かに崩れおちたろう。不思議な光が、まわりに満ちていただろう。

 主が、ご自身で、しもべモーセのからだを受けとめてくださったろう。そして・・・・いずこともなく、光は去っていっただろう。

 

 幸せな死に方だなあ・・・・わたしはしみじみと思うのだ。

 さて最後は、サムソンの死である。〝サムソンとデリラ〟のあのサムソンだ。

 怪力で知られたこの人は、モーセの時代からさらにくだって、カナンの地に住むようになっていたイスラエル人の士師(しし) ―――裁き司といわれるがじっさいは軍事総司令官のような役目 ―――についていた。

 人間の力をはるかに超えた恐ろしいほどの力に、サムソンは驕ったのだろう。おごり。これは猛者強者にどうしてもつきまとう。その傍若無人ぶりは、敵味方とわずその地に知れわたっていた。

 当時イスラエル人を支配していたペリシテ人のむすめを好きになり、妻にしたのはいいが、サムソンの乱暴者ぶりをきらって彼女の父親は、むすめをよそに嫁がせてしまった。

 怒ったサムソンの報復のものすごさ。ペリシテ人との攻防を描いた次の記述を読むだけで、彼の人生がどんなものであったかがわかる。

 サムソンは言った。

「今度はわたしがペリシテ人に害を加えても、わたしには罪がない。」

 サムソンは出て行って、ジャッカルを三百匹捕らえ、松明を持って来て、ジャッカルの尾と尾を結び合わせ、その二つの尾の真ん中に松明を一本ずつ取り付けた。その松明に火をつけると、彼はそれをペリシテ人の麦畑に送り込み、刈り入れた麦の山から麦畑、ぶどう畑、オリーブの木に至るまで燃やした。

 ペリシテ人は、「誰がこんなことをしたのか」と言い合った。「あのティムナ人の婿のサムソンがした。彼が婿の妻を取り上げ、その友に与えたからだ」と答える者があった。ペリシテ人はそこで、彼女とその父のところに上がって来て、火を放って焼き殺した。

 サムソンは彼らに、「これがお前たちのやり方なら、わたしはお前たちに報復せずにはいられない」と言って、彼らを徹底的に打ちのめし、下って行って、エタムの岩の裂け目に住んだ。

                            士師記153節―8

敵方のペリシテ人もペリシテ人だが、イスラエルの士師としてみなを導く立場にあるはずのサムソンなのに、その言動には威厳もなにもまったく感じられない。もうめちゃくちゃである。

 しかしそれにしても、ものすごい怪力だ。ジャッカルを三百匹、とかるく書いてあるが、狼に似た獣である。吠え、かみつこうとするジャッカルたちの尾と尾を結び合わせるなんて、これはもう人間わざではない。サムソンが人間を超えた存在と深くかかわっていることがわかる。

 その後サムソンは遊女デリラを愛するようになり、ペリシテ側にあった彼女にうまくのせられて、その怪力の秘密を明かしてしまう。

 じつは彼は、祝福された、不思議な生まれだった。神を畏れうやまう母親のもとに、主の御使いがあらわれ、彼女がこれから身ごもって男の子を産むこと、その子の頭にかみそりをあててはならないこと、そして、

「彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解きはなつ、救いの先駆者となるだろう」

 ということをあらかじめ告げていた。神さまのしもべとして、彼は初めから予定されていた人間だった。すさまじい怪力も、そのために授けられた能力だったのである。

 ここでついでにいうと、この世で異常に傑出している人は、その能力を〝授けられている〟のだとわかる。だから努力なしで、初めからそうなのだ。いや努力はするだろうが、おさないころからもう、はっきりと刻印されているのだ。その人は、神さまの御用のための人間なのである。

 近代でいうなら、作曲家のピョートル・イリイチ・チャイコフスキーなどはその典型だとわたしは思う。少年のとき、「ああ、音が、音が・・・」と耳をおさえて苦しんだというが、たぶん、彼は宇宙のなかで美のアンテナのようなものとして造られたのだろう。深い意味で。

 アンテナとしての構造が成人して完成すると、さっそく楽想がはっきりした形でどっとながれこみ、凄まじい奔流に身をひたすようにしてああ、あれもこれもこれもと彼はそれを書きとめたのだろう。彼はモスクワ大学法学部出身で、官僚になるはずの人だったのに、20歳をこえてから音楽学校に入りなおした。音楽のその勢いには、勝てなかったのだ。

ある面では、とても苦しい生涯だったにちがいない。

白鳥の湖などを聴いているとしみじみそう感じる。そこにはいわゆる有名な楽想のほか

に、そう、そのほかに(!)、心が痛むほどうつくしい楽想が数多くつまっているのだ。

 野の花や夜空の星と同じで、宝石のような美がただで、粒々といくつもそこらにころがっているものだから、その美を味わう人びとは、それが天からの宝石だということに気づかない。わたしたち人類に与えられた宝石。

 あまりにあたりまえに感じられて、人はいわば「やすく」受けとってしまうのだ。作曲家として尊敬はするだろうが、それ以上のことはだれも考えない。現代ではさらにかるく見られている。ほかの作曲家と比べて、ああ、チャイコか、なんだ白鳥の湖か、というぐあいである。

 しかし、白鳥の湖は注文仕事だったという。制作期間は二年間。よく考えてみれば、注文仕事でさっと、あんなに宝石の粒がぎっしりつまった作品が創りだせるはずがない。

わたしは、(比較的かるく見られているがゆえにますます)チャイコフスキーは神さまから選ばれた人だったのだと思う。音が、音がと苦しんだ少年時代のエピソードで、ますますそう確信するのだ。

 

さて、サムソンも同じ。「そう創られた人」だった。

 なのにそのエネルギーをケンカや放蕩でむなしく浪費してしまった。まわりには、乱暴者としてしか見られていなかった。 ひょっとしたら、惜しみなく授けられた力が、あまりに大きすぎたのかもしれない。大きすぎると、ひとは受けきれないのかもしれない。

 もちろん、彼はすべてを自覚していただろう。親から話を聞いて、選ばれた者としての誇りも持っていたにちがいない。けれど、現世の誘惑や魅力の前に、彼はもろく崩れてしまったのである。

 妖婦デリラは、さっそく人を呼び、自分の膝をまくらに眠りこんでしまったサムソンの髪の毛七房を剃らせた。彼女もまた、サムソンの傍若無人ぶりを憎んでいたのだろう。もしかしたら、彼女の愛する人 ――兄弟かいとこあたりが以前サムソンにひどい目にあわされていたのかもしれない。何もなくて、こんなことをする女はいないだろう。かくして、神さまから授けられた怪力は失せた。サムソンは哀れなことになった。

 ペリシテ人たちは彼を捕らえ、目をえぐり出してガザに連れて下り、青銅の足枷をはめ、牢屋で粉をひかせた。

                           士師記1621

 さらにその後、ペリシテ人の領主たちがダゴンの神にいけにえをささげて喜び祝う宴会のシーン。次に記すそれは、これまでの人生でわたしが見た、友人、知人の胸つまる状がいくつか思いだされ、ここは涙なくして読めなかった。すべてを失った誇り高い人のすがたがそこには描かれている。

 1995年の阪神淡路震災後、悄然と小さな貸家の一室にすわっていた父の姿もだぶった。じつはわたしの実家も、倒壊してしまったのである。東日本大震災のかなしみがひとしお深いのは、ひょっとしたらそのことも関係しているのかもしれない。

 そして、自信に満ちて家族に対して独裁的で、ときに残酷で、耽美派で、芦屋のうつくしい日本建築を誇りにしていた父だったのに、わずか40数秒のゆれで、父はすべてを失ってしまったのである。

 当時、わたしは帰国して両親を見舞ったのだが、こちらにむかって父は微かにうなずいてみせた。喜んでくれていた。小さくしなびた鷹のような父の姿を見たとき、わたしはとうに父を赦していることに気づいた。

 

 さて、話をもどし。早くそこを記そう。サムソンの絶望の記述はこうである。

 彼らは上機嫌になり、「サムソンを呼べ。見せ物にして楽しもう」と言い出した。こうしてサムソンは牢屋から呼び出され、笑いものにされた。柱の間に立たされたとき、サムソンは彼の手をつかんでいた若者に、「わたしを引いて、この建物を支えている柱に触らせてくれ、寄りかかりたい」と頼んだ。建物の中は男女でいっぱいであり、ペリシテの領主たちも皆、これに加わっていた。屋上には三千人もの男女がいて、見せ物にされたサムソンを見ていた。

                        士師記1625節―27

 ひょっとしたら、彼は道化のかっこうや女装、化粧もさせられていたのかもしれない。ただ登場するだけでは面白くない、とペリシテ人も考えたことだろう。でないと「笑いものにされた」とは記述されまい。

 人いきれ、笑い、嬌声・・・・絶望の暗黒の底のなかで、ここでサムソンの心の目はひらいたことだろう。これまでの愚かしい日々、生涯の全貌が、瞬時にその脳裏に浮かびあがったにちがいない。

 そして同時に、支配者ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者として生をうけた、自分の宿命のことも。見えない目で、彼は天を見あげたことだろう。ああ、ひとは時として、人生でこういう瞬間を持つことがあるのだ。そして、彼の剃られた髪の毛は再び、伸び始めていたのである。

 サムソンは主に祈って言った。「わたしの神なる主よ、わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」

 それからサムソンは、建物を支えている真ん中の二本を探りあて、一方に右手を、他方に左手をつけて柱にもたれかかった。そこでサムソンは、「わたしの命はペリシテ人と共に絶えればよい」と言って、力を込めて押した。建物は領主たちだけにではなく、そこにいたすべての民の上に崩れ落ちた。彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった。

                            士師記1628節―30

 神さまは最後、サムソンの絶望の底からの祈りにお応えになったのだ。

 アダム、エノク、アブラハム、モーセ、サムソン。聖書の五人の人間の生と死をたどってみたが、やはり、死のありさまは、生のありさまをはっきりと映しているようである。

 初めのほうに記した、「その人がどう生きたかは、その人がどう死んだかでわかる」という言葉は、おそらく真実だとわたしは思う。むろん、「その人が神さまの存在を自明のこととして受け入れ、神さまがその人と共にあってくだされば」――という大前提のもとで。その大前提なくしては、この結論はありえない。

 先年、ダイアナ元妃とマザー・テレサがぐうぜん同じころに亡くなった。パリの街でパパラッチに追跡された貴族婦人の車の激突死と、ながい奉仕の歳月で小さくかがんでしまった身体の修道女の病死と。

 苦難の折々に聖書の神さまに ――― 創造主に呼びかけていたにちがいない、この二人の婦人の死に方も、やはりそれぞれの生涯を象徴しているように思われる。

 神さまに日々深くよりそい、日々祈っているかぎり、生き死にのことはそう心配しなくてもいいのでは、と聖書を読んだかぎりではそんな印象を受ける。勇敢に生きた人には勇者にふさわしい死が、破滅的に生きた人には破滅的な死が、こぢんまり生きた人にはこぢんまりした死が来る。おとなに関するかぎり、その生涯にふさわしくない死は訪れないようだ。その人が真実どういう人であったか、はた目に映っていたとおりの人ではないかもしれない、という点もすべてふくめて決定される。わたしにはそう思われるのだ。

 さあ、それではここで、先日大震災と津波で亡くなった人びとに話をもどそう。あの人たちはどうだったのか。 おそらく聖書に縁のなかった人がほとんどだが、それは日本独自の文化と環境によるものである。

「あなた(藁科)のいう神さまの御手のそとにいる、素朴なよき人たちの運命は? そして、むじゃきなおさない子どもたちの運命は? みな創造主の御手の埒外にいて、ほうりっぱなしだったというわけですか?」―――

 そう問いかける人が、ここで現れるかもしれない。じっさい、東日本大震災のあとで、わたしにこう言った男性がいた。

「おれはキリスト教徒ではない。だがもし聖書の神さまが真実いるとしたら、そんな神さまはおれはいやだ。あの災禍を、神さまは防いではくださらなかった。罪なき子どもも津波に流された。残酷ではないか」。

 そう、そのとおりである。あれは自然災害と人災であって、神さまのなさったことではないが、神さまは防いではくださらなかった。

 人間が原発や堤防など科学技術を盲信してよりかかり過ぎたとしても、戦争など、ある誤った考えに染まって突進したとしても、神さまはそれを止めてはくださらない。警告はなさるが、最後は人間の自由意志にお任せになる。悪をも、そのままにしておかれる。ちいさい子どもたちをふくめ、大群衆を滅びるままにされる。もしくは滅ぼしておしまいになる。ノアの大洪水でも、ノアの家族以外の世界中の人が流されて死んだが、そのなかには赤ん坊も幼児もふくまれていたはずである。

 さきのサムソンの例でも、サムソンの暴走を止めてはくださらなかった。道化サムソンを見物していた人びと全員を死なしめられた。聖書の過去の事例は厳粛で、心がしんとなる。。それを受けとめつつも、しかしちいさきキリスト者のわたしはいまこう思うのだ。

「あれですべてが終わりであれば。――東北のあの大震災は残酷このうえもない災厄だ。

だが、この地上の生命だけが人間の生命ではない。荒唐無稽に思えても、じつは将来に光がある。神さまは創造以来のながいながい歴史のなかで、預言者たちを通じ、またイエス・キリストを通じて約束してくださった、信じる者に永遠の生命を。

 でも、信じなかった人は。聖書に生涯縁の遠かった、それでもりっぱに生き、同胞を救うために殉職した日本の警察官、公務員、その人たちのことを神さまはお忘れになるだろうか? いや絶対に、お忘れにならない。一人、一人のことを、気にかけてくださる」と。

 ちいさき存在への神さまの視線は、イエスの次のみ言葉でも表されている。

「5羽の雀が2アサリオンで売られているではないか。だが、その1羽でさえ、神がお忘れになることはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

                 ルカによる福音書126節ー7

 だから、かなしみにひたりつつも、根源のところでわたしは心配はしていないのだ。愚かな指導者のおかげで苦しい目にあうのはいつも素朴な民衆だけれど、そうした人びとのことを、神さまがお考えにならないはずがない。一人といえども見過ごされるはずがない。はじめは信じていたが、迷って離れてしまった人びとに対する神さまの思いは、イエスの次のたとえばなしの中に記されている。

  

 「あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」

マタイによる福音書1812節ー14節

 ましてや、生きているうちに創造主の愛にふれなかった、機会もなかった、その教えを知らなかったよき人びと、それにむじゃきな子どもたちにはさらに、未来が待っているとわたしは確信する。なぜって? 神さまは厳正公平なお方だから。生まれた場所の環境で人を差別なさるはずがない。そして、なさることがしばしば、わたしたち人間の限界ある頭脳には理解しがたいのだけれども、最終的にはいつもきちんとすべてが美しく決着するということを、聖書を読んでわたしは知っているからだ。

 

 神さまがどんなにフェアな方か、人間の思いを超えた考え方をなさるか、たくさんの事例があるのだが、ここはぶどう園の話で、この文章をしめくくりたい。広大な園の持ち主と雇い人の関係をここで話されているイエスのみ言葉からは、御父であられる創造主のご感情、思いがしみじみとつたわってくるのだ。

 

「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき1デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。

 また、9時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、〝あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう〟と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、12時ごろと3時ごろにまた出て行き、同じようにした。5時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、〝なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか〟と尋ねると、彼らは、〝だれも雇ってくれないのです〟と言った。

 主人は彼らに、〝あなたたちもぶどう園に行きなさい〟と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、〝労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい〟と言った。そこで、5時ごろに雇われた人たちが来て、1デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも1デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。〝最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中を同じ扱いにするとは。〟

 主人はその一人に答えた。〝友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと1デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。〟

 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

                          マタイによる福音書201節―16

 そう。神さまは埒外(と言うなら言える))の人をもみつめておられる。どんなに信じがたく思われようと、まだまだ終わりではない。みなの運命には、続きがある。それは壮大なご計画のうちの一部である。どう続くのか、どんなご計画なのか、それは聖書に記されている。つたないながら、また機会をあらためてわたしはあれこれの箇所を紹介してみたい。

 父を、母を、子どもを失った人には、さらに将来、愛する者との再会の希望がある。おそらくまた逢える。神さまはそれを示してくださっている。ここでは、ある日ふとみつけたパウロの言葉を追加しておく。(ちなみに文中の律法とは、モーセが神さまから授けられた、人間が守るべきさまざまな掟のこと。いわゆる十戒は、その大きな柱。)

 

  

 たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。             

   

                       

  ローマの信徒への手紙214節―16

No comments:

Post a Comment