Sunday, May 1, 2011

天国は退屈?

Text: Rio Mitani
そう思っている人はたくさんいるでしょう。

天国では皆がハープを奏で、単調な賛美歌を歌いながら聖なる「ホーリー」な顔をして浮き回っているイメージを持っている人も多いのではないでしょうか?

特に芸術に携わっている人の中には「そんな天国なら、あまり行きたくない…」と思っている人がいる。

でも、ナルニア物語の作者で、同時にキリスト教の学者であるC.S.ルイスは「キリスト教の精髄」でこういう。

『クリスチャンが天国に持つ希望を馬鹿にする人は、「永久にハープを弾いてすごしたくない」などと言う。このような人に言いたい。大人のために書かれた本を理解できないのなら、発言しないほうがいいだろう。聖書の描写(ハープ、冠、黄金など)はもちろん全て表現不可能なことを表現しようとしている手段に過ぎない。音楽楽器が用いられるのは、多くの人(皆ではない)にとって、この世にあるもので、一番強く興奮と永遠を感じさせるのが音楽だからだ。』


本当にその通りだと思います。

天地や人間を造られた神様です。どんなに聡明で冷静、それでいて情熱的で熱いお方であることか!

私はバレエダンサーなので、やはり芸術の世界に生きているのですが、つい最近まではやはり「悪役は面白いけど、正義の方役はつまらないものだ」、と勘違いをしていました。

でもこれは、バレエという芸術の役柄の描き方が大体そのようになっているからです。

例えば名作「眠れる森の美女」なら魔女のカラボスは個性豊で面白いが、優しいリラの精はテクニックに優れていながらも、役柄としては印象が薄い。
他にも「白鳥の湖」の「白鳥」と「黒鳥」など、多くの作品例が私たちに吹き込むメッセージは:
「善なる者は個性が無くて、面白くない。」


そして、芸術の役の描き方を後押しするかのように、キリスト教会でも魅力的な芸術は認められない傾向があります。

特に伝統的な教会では静かな賛美歌や演奏は許されるが、観客を興奮させるような、「カッコいい」演奏や魅力的な芸術は「危険」ということで、シャットアウトされてしまうことがあります。

こうして、キリスト教も芸術の世界もそれぞれが「激しいものは悪関係、大人しいものは善」というメッセージを静かに世に広めているように感じます。

これには悪魔が大喜びでしょう。

でも、聖書にはこう書いてある。


「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。」 ヤコブ1:17

もしそれが本当ならもちろん、人に大きな喜びや感動を与える全ての芸術をも含むはず。

どんなジャンルでも、音楽や芸術自体が神様からのプレゼントなのだ。音符やステップや色には罪が無い。これらを芸術を通してアレンジしたときに与えられる喜びは、人によっては人生最大の幸せの一つかもしれません。

芸術的な才能は、他の才能と同じく、全て神様から授かったものです。
よくおとぎ話にある、「悪魔と契約をして、特別な能力を貰った」ケースは作り話。能力は全て善なる神様からいただいたものだからです。

楽器を激しく超絶技巧で奏でる人や作品を「悪魔のバイオリニスト」「魔の曲」などと呼ぶことがありますが、これはとんでもない冒涜だと思います。

天才は神様からいただくもの。


優雅に、華麗に演じる人も、激しく、熱烈に奏でる人も皆神様の賜物を生かしているのだ。

神様に近くなればなるほど、人は個性豊かになっていくはずだと思います。それは自分の全てを神様に委ねたときに初めて、自分の本当の才能や使命を見つけることができるから。



音楽や芸術が最大の幸せだと感じているみなさん:

今まで経験してきたのはまだまだ序の口。天国で待ち受けている喜びと興奮への予告編に過ぎないのです。
天国では人間がこの地球で感じられる幸せの瞬間を何万倍にもした感動や完成が味わえられるのです。しかもずっと、永遠に。

今の人間の身体ではずっと興奮していると疲れてしまいますが、天国では疲れもストレスもないので、ずっとずっと喜びに満たされているのです。

音楽やバレエ、絵画や演劇、全ての芸術がこんな素晴らしい天国にない訳がない。

ただ、この世に付きものの傲慢や自己満足などはありません。


純粋なアーティスト。

神様のためのアーティスト。

全世界を造られた神様という最高のアーティストに率いられて、芸術を楽しむ毎日…
感謝です!

アーメン。












































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